-
ときおりの上海だより 土布
揚子江南地域は古代から絹栽培、南宋時代から始まる綿花栽培と数千年の紡織産業の歴史をもつ。 遥か時を隔てて19世紀末、ここ上海も東洋の魔都と呼ばれていた頃、英日の紡績会社が拠点を構え、英仏租界地の目抜き通りには洋装店が軒を連ねていた。当時上海の仕立屋と言えば腕利き職人の代名詞。現在はその面影も全く消えてしまったが、ほんの数年前までは市内にも幾つもの大きな紡織工場を抱える現代紡織品産業の中心地ひとつだった。 そんな華やかな歴史の舞台の脇で、上海郊外の農村の手織りの綿布がある。 「土布」 上海東西南北の郊外、青浦、南匯,崇明島辺りで農家の嫁入り道具の一つとして、祖母、母の手で織られてきた布。しっかりとした厚手の綿布は衣類にも寝具にもつかっていたという。三色程度の色、藍、茜、緑の糸で格子柄と縞柄。平織の簡素な模様なのに、縦糸と横糸の組み合わせで様々な表情があって、織る人たちの様子が伝わってくる。 解放政策後の80年代以降は織る人もほとんどいなくなってしまった。手間隙かけて作るよりも、購買したほうが「割に合う」時代の到来である。 一昨年の夏に、知人のご親戚で今でも機織りをしているという張さんを訪ねた。 上海近郊の南匯。現在は地下鉄も通り市内から一時間程で行けるようになった。海が近く潮の香りがするかつての農村は、広大な果物畑が広がる。今でも西瓜、桃、葡萄は南匯の名物。そこでずっと農家を営む張さんは農作業の合間に機織を楽しんでいるという。座板に腰掛けて織り始める張さん。手慣れた調子で素早く緯糸を滑らせ、筬を打ち込む。機音の響きが心地良い。ふとウィリアム・モリスの小説’ユートピア便りnews from nowhere’を思い出す。産業革命後の大気汚染のひどいロンドンにて、革命以前の世界に主人公に迷い込み、テームズ河沿いの村々を巡る夢物語。そこで彼は出会う農夫たちが纏っていた衣服に見とれる。大切に作られた生地、仕立て、美しく飾られた刺繍。 一日かけて織り上がるのは4メートルにも満たない。すべてには限りがあることを知るからこそ、その有り難みがわかるのかもしれない。
-
色いろ
黒土、黄色土、白磁、 透明釉、失透釉、鉄釉、化粧掛、 釉薬も土そのものの色があってこそ華やぎます。